2009年12月28日月曜日

クリスマスのローストチキン

ホリデーシーズンは、美味しい料理を食べる口実だらけで嬉しい。

先月はサンクスギビングで、七面鳥をこころゆくまで味わいました。
さすがに、七面鳥はヘルシオ(オーブン)には入りませんが、丸鶏なら入るので、東京で迎えるクリスマスはローストチキンを焼きました。

初の試みでしたが、大成功。

材料が豊富に揃っている、The Meat Guy(ネットストア)に感謝。量に関わらず650円で配達してくれます。

【材料】
・(*)丸鶏:足立区の近くのスーパーには普段売ってないので、上記ストアで購入。(1.3キロで、850円)

・スタッフィング(詰め物):
同じく上記ストアで。スパイスや、ソーセージ、パンなど色々東京で集める手間を考えて、今回はスタッフィングミックスを利用。(1袋980円)
量が多めなので、1.3キロのチキンでは、2羽のお腹に詰めて丁度くらい。

・グレービーソース:チキンを焼いて出る肉汁に、チキンブイヨン、小麦粉を混ぜました。
1.3キロのチキンの場合、肉汁を根気よくとらないと足りない感じ。

*丸鶏は、近くのスーパーで24日、25日のみおいてました。
今回使ったのと同じくらいのサイズで、1080円。
しかも、25日の夕方には既に、50% オフで売っているのを発見。
来年はここで買ってもよいかも。
上記ネットストアでは、3キロの巨大なチキンも売ってますが、ヘルシオには入らなそう。

副菜にマッシュポテトと、野菜を加えておいしく食べました。
チキンの骨は、後日チキンスープのだしに使いました。

来年はもう一歩進んで、スタッフィングをちゃんと作ってみようか、と検討中。

2009年12月3日木曜日

サンクスギビングの七面鳥

七面鳥の肉はおいしいのに、日本ではなかなか売ってません。
サブウェイのサンドウィッチでくらいしか食べられる機会はないかな。

でも、先週は七面鳥をたらふく食べられました。
アメリカでは11月の第4木曜日が、サンクスギビング(感謝祭=収穫を祝う日)という祝日で、家族、親戚が集まってご馳走を食べます。ということで、私も夫の実家でいっぱい食べることができました。

感謝祭のメインディッシュの、七面鳥丸焼き。お腹にスタッフィングと言われる詰め物を押し込めて4,5時間オーブンで焼きます。スタッフィングは、クルトンをバターや玉ねぎなどと炒めたもの(左の写真)。オーブンで焼いた時に、七面鳥からでる油でソースを作って、スライスした肉にかけて、クランベリーソースと一緒に食べます。



驚くべきことに、この七面鳥の肉、あるスーパーで一匹$10で買いました。
安い理由は大量生産ですが、胸の部分を大きくする等、一匹の鳥からできるだけ多くの肉が食べられるように改良されています。その運命に生まれた七面鳥は、自らの重さのため自分の足では立てないらしい。さらに、もはや自分たちでは卵も作れないとのこと・・・・これが安くおいしい七面鳥の理由。

もちろん、自然に飼育された七面鳥も売ってます。でも、2倍以上の値段ですが。

2009年8月22日土曜日

カウンセラーと国家資格

職業がら、疑問に思っていることがありました。
県や市や民間で相談員の仕事をしている人がいます。例えば夫からのDVや、離婚、からだの相談、子どもの引きこもり、子育ての悩みなど色々相談にのってくれます。彼女(彼)らは、「臨床心理士(カウンセラー)」や「社会福祉士」の資格を持っている人がいたり、また資格はなくてもカウンセリング業務を長年やっている人がいたり。

その中で、「カウンセラー」の位置づけについて、
しばらくもやもや疑問に思っていたことが明らかになったので書いておきます。

<アメリカとは違う?>
アメリカのNGOで、ソーシャルワークをしていた時、口すっぱく「カウンセリング的な業務はカウンセラーでない者は絶対に行ってはいけない」と言われてました。「心理の問題を扱うことはセンシティブな業務で、資格がない者が行うべきではないもの」と理解していました。

それから、日本で同分野に足を踏み入れてみると、その辺の境界線についてあまり聞きません。
それどころか、臨床心理士と私(資格なし)が、同じ業務を行っています。なぜなのー??

<国家資格と業務/名称独占資格>
その理由の一つは、臨床心理士は国家資格でないこと。
臨床心理士は、
財団法人日本臨床心理士資格認定協会が認定する民間資格。
国家資格で、且つそれが業務独占資格であれば、その業務を行うことが法的に許されるのは資格保有者のみとなります。
例)業務独占の国家資格:弁護士、医師、公認会計士、美容師、はり師 他
よって、カウンセリング業務は「臨床心理士」やその他「認定カウンセラー」以外の人が行ってもよいことになっています。

おやおやと思うのですがその一方、同種の業務を行っている、
精神保健福祉士、社会福祉士は国家資格。
それでもこれらは、
名称独占資格なので、資格のない人が同業務を行うこうことが許されています。
保健士、栄養士、介護福祉士などもそう。


<なぜ臨床心理士は国家資格でない?>
認知度も上がってきている臨床心理士。例えば、2001年度に制度化されて現在全公立中学校に配置されることになったスクールカウンセラーの多くが臨床心理士。
精神保健福祉士、社会福祉士は国家資格なのに、臨床心理士はそうでない2007年時点で約1万6千人の臨床心理士)。

その大きな理由は、医師団体が彼らの業務を独占していたいから。
現在カウンセラーと近い業務を行う精神科医は、医師としての国家資格を持って
業務を独占しています。そこに、臨床心理士が入り込んできたら、同じく国家資格をもつ彼らにもそれなりの待遇を保証しなければならないし、業務間の調整も行わなければならなくなります。

これまでに、臨床心理職の国家資格化に関して、旧厚生省や国会で話し合われてきましたが、上記のような理由で何度も議論が頓挫しています。2005年に立法化直前まで行ったのに、日本医師会、日本精神科病院協会、日本精神神経科診療所協会、日本精神神経学会などの強い反対により、立法化に至りませんでした。その裏には、医師会と自民党の強いつながりがあるということ。民主党が政権を握れば、状況は変わるのかもしれないですが。

<アメリカのカウンセラー位置づけ>
やはり、日本よりもその業務独占が保証されているようです。
アメリカの心理専門家の中では、クリニカル・サイコロジストとその他カウンセラーが明白にすみわけされているようです。前者は大学院博士課程を修了した者で、州立資格を得た上で開業できる制度になっています。クリニカル・サイコロジストは病院やクリニック、公的機関における心理療法の業務を独占をしているということ。アメリカであるからこそ州ごとに登録する資格になっているが、日本でいえば業務独占を保証する国家資格にあたるということでしょう。

もやもやしていた疑問がなくなり、すっきりしました。

2009年7月8日水曜日

アメリカ人の夫が身につける日本語

アメリカ人の夫は、金融会社で翻訳をしているから、
日本語は食べていく上で必要だし
朝刊も夕刊も日経新聞を毎日読んでいる。

でも、仕事場や、テレビ・新聞ではあまり出てこないだろうと思われる
言葉を使うと、どこでそんな言葉を習ったのか不思議に思い、
つい会話を中断してつっこんでしまう。
特に笑えるのが、私の両親が使う特有の言い回しだったり、
彼らの栃木弁を見につけて使っているとき。

でも、私の両親と住んでいたのは3ヶ月間ほど。その他は1ヶ月に数回しか
会わないのにその短い間に、普段聞きなれない言葉を聞くと吸収するらしい。
私は5年生まで栃木で育ったので、栃木に帰ったり両親と話す時に自然に使い分けている。
あえて意識していないけど、夫の口からでるとなぜかおかしくて、
「これは栃木弁なんだ」と再認識する。

以下が、その例(「栃木弁」ではなくて、単なる家族の言い回しも多々)。
3・4は、さすがに夫は冗談半分でしか使わない。

1. 「わりかし」= 意外と 
  父がよく、「これ、わりかしうまいんだよ」と言う。
2.「ごきちゃん」=ごきぶり 
  母が「ごきちゃんがでた!」と言う。両親の家にいた時、そんなに何度もでたとも思えないのだが。
3.語尾の「ど」
  父が使う。きっと栃木弁。
  「行ぐど!」=行くぞ、行くよ。「出たど」=出たぞ、出たよ。
4.語尾の「(だ)がね」
  私が栃木に行ったときに使う。祖母と会話するときなど。
  「私、それ言ったがね」=「私、それ言ったよね」
  「お店はこっちだがね」=「お店はこっちだよ」
5. 疑問形語尾の「ん?」
  「もう食べたん?」「寝てたん?」「テレビ見てるん?」
  

2009年6月24日水曜日

子宮頸がん検診

子宮の日(4月9日)についての投稿で、
「日本でこの検査を受ける人はまだまだ少ないし、子宮頸がんの検査について知る機会も少ないような気がします。」と書きました。

少し訂正です。

多くの自治体で、子宮頸がん検診(*)を無料又は安く受けられるそうです。自治体によって異なるそうですが、多くの場合20歳から、2年に1回の検診としているところ が多いとのこと。
やはり、検診者の数はまだ、他の国に比べて少ないようです。
(5年前のですが、右図参照。)


実際に1週間ほど前、足立区から無料検診の知らせが届いて知りました。
足立区の条件は「20歳以上で、今年偶数年齢を迎える女性」。区内の30ほどの指定クリニックで受けられるということで、家に近いクリニックからいくつか電話をしてみて、予約がとれたところに行ってみました。男の先生でしたが、痛みもなくかなりスムーズに頚部の細胞をとってくれました。ついでに、プラス2,000円で子宮と卵巣を調べる経腟超音波もやってもらいました。

3年ほど前に、住んでいたバンコクの(きれいな)病院でこの検査を受けた時は、子宮と卵巣のチェックのために、膣内に指を挿入され、そのままの状態でお腹を何度か押されて不快感を覚えたのですが、今回はそれはなくてほっとしました。これは日本でも一般に行われているそうで、超音波だけでは分からない子宮の状態を知るための内診だそうですが。

ちなみに、2009年4月に政府が決定した追加経済対策(新三種の神器とか謳ったのもこの時)の中に「子宮がんと乳がん検診を無料化する。子宮がんは20~40歳まで5歳刻みの各年齢に、乳がん検診は40~60歳まで5歳刻みの各年齢に達した人が対象。」とあったらしく、(「子宮頸・乳がん 検診無料券を配布へ」 公明党新聞より -私は創価学会信者ではないですが)ということは、今後少なくとも全国で対象年齢の女性は5年に1回は無料で受けられることになるようです。

ただ、予算上5年に1度なんでしょうが、検診自体は少なくとも2年に1度、できれば1年に1度と医療機関では言われてるし、誤解を起こしそうな。

(*)子宮頸がん検診:
「子宮がん検診」と総称して呼ばれるが、子宮体部検診とは異なり、子宮頚部の細胞を綿棒のようなもので採取し、検査する。検査自体は3分くらいで終わり、結果が1週間後くらいにでる。

2009年6月16日火曜日

映画: スティーブン・キングの作品 ~パート2

ホラー小説家 スティーブン・キング(1947年、米国メイン州出身)

1ヶ月程前の、スティーブン・キングの映画特集に続き、
また2本ほど彼の小説を基にした映画を見ました。

前に見た4本は、「絶対に今夜悪夢を見てしまう..」と思いながらも、
そのストーリーに圧巻といった感じでしたが、今回の2本は血の流れるシーンが多すぎました。

「クジョー(1983)」 原題:Cujo


海に面した美しいメイン州のとある町
若い夫婦(ビック&ドナ)と幼い息子(タッド)3人の幸せな家庭を恐怖に落とし入れたのは、同じ町の車修理屋に飼われるセイントバーナード犬のクジョー。

クジョーはこうもりに噛まれたことで、狂犬病にかかっていた。
徐々に凶暴になっていくクジョーは、とうとう飼い主を殺してしまうまでに

そうとは知らず車修理の依頼にやってきた、母のドナと息子タッド。そこに待っていたのは、恐ろしい目をしたクジョー。クジョーは、エンストで動かなくなってしまった車に閉じ込められた2人を激しい勢いで襲いかかる。ドナは血だらけになりながらも息子を必死に守ろうと立ち向かう。

息も詰まる死闘の末、ドナは息を引き取りつつ息子の命をとりとめることに成功する。そこに、出張中だった夫がやっと駆けつけたシーンで映画は終わる。

ストーリーは、夫の友人と関係を持っていたことに悩むダナへとふりかかる罰のようにして描かれています。
「夫に申し訳ない。もう止めよう」と後悔する彼女が、「取り返しなんてつくものではない」とばかりに非情にクジョーに攻撃されるシーンはとても心苦しい。

この映画がずっと気になっていたのは、夫の実家に3年ほど前まで生きていた犬が「クジョー」という名前だったから。白いふわふわした犬なのに、攻撃的であまり人に懐かなかったからそう名づけたられたそう。私の知ってるクジョーはそんなに怖くなかったのだが。
ちなみに古代のアメリカ先住民族の言葉で、「クジョー」とは「止めることのできない力」という意味だったそうです。


「ニードフル・シングス (1993)」 原題:Needful Things


舞台は再び、よくある(おそらくメイン州の)田舎町

ここに引っ越してきた初老の男が、「ニードフル・シングス」というアンティークの店を開く。一見優しい顔をしたその男は、店を訪れる人が必ず欲しくなるものを売っていた。ベースボールプレーヤーのサイン入りカード、不思議な輝きを放つペンダント、昔を思い出させる懐かしい大学のスポーツジャケット....

それぞれの人の心の穴を埋める貴重な一品ばかりであった。しかし、それらを売る代わりに男は彼らに悪戯をはたらくように仕向けるのであった。

しばらくすると静かだった小さな町で世にも恐ろしい出来事が次々と起こり出す。
凶悪な殺人事件、子供の自殺未遂、....
そして、それはどれもアンティーク店に出入りしていた人々によって起こされた事件だった。

でも、この1本は残虐すぎて、途中で見るのを止めました。他のスティーブン・キングのホラー作品と比べると、ストーリー性よりもただ血の流れるシーンが目立ってしまいすぎていました。残念。

DVは許されません!?

(↑拡大するには、写真の上をクリック)

「この地域ではDVは許されません!」
というこちらの看板。
24時間通じるホットラインの電話番号まで付してあるし、こんな看板が日本にもあればいいのにと思いきや。。。

下の赤い部分にはなんと
「日曜日を除いて」の文字が!

きっと、もともとは「No Parking」とか「One Way」の類の看板が白い部分にあったんでしょうね。
努力賞といったところ。

でも、この方が見る人の注意を引くから効果があるかも?

2009年5月27日水曜日

本:Nudge


Nudge: Improving Decisions About Health, Wealth and Happiness (2008)

By Richard H. Thaler, Cass R. Sunstein


オバマ大統領も感銘を受け、大統領選にも役立てていたというこの一冊。

タイトル"Nudge"の意味は辞書にはこうあります。
「(名詞)軽いひと突き」とか「(動詞)ひじで軽く突く。~を少しずつ動かす」

続くタイトルには、「福祉、幸福に関する決定を改善する」とあり、この本は「行動経済学」という分野に属するそう。

この本は、「人は本来こう言われればこう動きがち」という行動原理の事例から、日々の生活でより良い選択(例えば、貯金の運用、環境保護、健康的生活)を人々にさせるためのコツの数々を示しています。

政策決定者にとっては、「市民にどのようによい選択を促すか」という視点で読むHow-to本に近いもののようですが、むしろ一般市民の私たちにとっては、知っておくと得をする人の行動原理が多く紹介されていて、「何気ない日々の生活でより良い選択肢を選び、間違えを防ぐ手がかり」が得られます。

<筆者>
両者ともに、オバマ大統領が教鞭をとっていたシカゴ大学で、同じく教授であった(である)。

筆者:
(写真左)キャス・サンスティーン
ハーバード大学ロースクール教授。

オバマ政権のアドバイザーとして、行政管理予算局(Office of Management of Budget)の中の情報規制対応室(Office of Information and Regulatory Affairs)にノミネートされており、現在(2009年5月)上院で任命の承認がされている。

(写真右)リチャード・セイラー
シカゴ大学ビジネススクール教授。




<なるほど!>

まだ半分ほどしか読んでいませんが、「ははー、確かにそうだ!」と思った事例が色々でてきました。(以下、日本語版はないので私の仮訳。)

事例1「自分が既に持っている物を失う悲しさは、同じ物を新しく手にいれる喜びの2倍である。」
----- ある大学でクラスの半数の生徒が、大学のロゴ入りのマグカップをもらった。その後、もらえなかった生徒は、マグカップをもらった生徒から買うための値段交渉をしてみるよう支持をされた。多くの場合、最初に手に入れた生徒は、これから買おうとする生徒の提示するおよそ2倍の値段を求め、同意に至らなかった。一度自分の手に入れたマグカップは手放したく価値の高いものだが、もともと持っていなかったのであれば、それほどの価値を感じないことになる。
(第1章:先入観と大失敗)

事例2「ディナーパーティーで、ワインのおつまみは少ない方が感謝される。」
----- 筆者のセイラーがパーティーを開いた時のこと。1本目のワインをあけた時に、大きなお皿にカシューナッツのおつまみを出した。すると、しばらく皆の手は止まらず、大きなお皿を開けてしまう勢いだった。そこで、セーラーはナッツのお皿をキッチンに下げてしまった。キッチンから戻ると、ゲストらは「おいしい料理が準備される前に、大量のカシューナッツでおなかをいっぱいにしてしまうところだったよ」とセイラーに感謝を述べた。
(第2章:誘惑に抵抗する)


事例3. 「税金回収率を上げたいなら、『皆も払っているのだから』と市民に促す。」
----- ミネソタ州の調査では、税金支払いを市民に求める呼びかけを以下4つの方法で行ったところ、最も効果のあったのは(4)であった。
(1) 税金は教育、警察保護、防火管理など社会のためにしようされています。
(2) 税金を支払わない場合は、罰せられる危険性があります。
(3) 納税申告書の書き方が分からない場合は、教えます。
(4) ミネソタ州の90%の人が、税法に従って既に申告しました。
(第3章:周りの群衆に従う)

事例4「電化製品の有料保証はほとんどの場合つけるべきではない。」
 ----- 例えば、$200の携帯電話を買って1年目は無料で保証がついているが、2年目は+$20であるとする。この場合、仮に2年目に1%の確立で故障するとすれば、$20の保証からカバーされるのは平均$2($200の1%)となる。そして、残りは携帯電話会社の儲けとなる。
(第4章:背中を押してもらう必要があるのはいつか?)

事例5. 「避妊薬「ピル」の28錠セットの、22-28錠目は儀薬である。」
 ----- ピルは3週間分(21日目まで)飲んで、4週目は飲まずに空けるべきもの。しかし、飲み忘れを防ぎ、毎日飲むことを習慣付けるために、本当は飲む必要がない4週目の分も成分を含まない儀薬を作り、毎日飲むように番号を振った入れ物に入れてある。
(第5章:選択の設計)

2009年5月1日金曜日

映画: スティーブン・キングの作品

ホラー小説家 スティーブン・キング(1947年、米国メイン州出身)

彼の作品を基にした映画を
この1週間に4つ見ました。

まだ悪夢はみていません。

彼のノンフィクション作品
On Writing: A Memoir of the Craft
(1999)で、
彼の生い立ち、それぞれの作品が書かれた背景など読んだ後だったので、
「ほう、あの経験がこのストーリーラインを生むなんて」と思いながら見ました。

見たのはこの4つ。

「キャリー(1976)」 原題:Carrie

体育の授業の後、キャリーがシャワー室で初潮を迎えるシーンから始まる。周りの女子生徒から馬鹿にされ、ナプキンやタンポンを投げつけられ、先生にやっと助けだされる。

いじめられっこのキャリーは、不思議な力を持っていた。彼女の怒りは、物体を動かし破壊する力を生むのである。

ある日、皆にいじめられる彼女に同情した女子生徒が、ボーイフレンドに、高校最後のダンスパーティーへキャリーを誘って一緒に出てあげてと頼む。

しかし、いじめっ子が会場で仕組んでいたいたずらはなんとも卑猥な行為であった。

ケリーの怒りは想像もつかない結末を呼ぶ。


「シャイニング(1980)」 原題:The Shining

コロラド州のロッキー山上のホテルが舞台。

小説家であるジャックは、執筆活動の傍らできる
ホテルの管理人の仕事をするため、妻と幼い息子ホテルに移り住む。

息子のダニーには不思議な力があり、見えない物が見えたり、人の心が読めたりする。そこで、ダニーがホテルで見たものは、階段から流れ出る大量の血や、双子の姉妹が斧で殺害された遺体など。

実は、このホテルでは、前の管理人が斧で家族を殺害していたのである。

そんな呪われたホテルで、孤独な執筆活動を送りながら、ジャックも化け物を見るようになり、狂乱していく。そしてとうとう、彼も斧を手に取ってしまうのである。


「ペット・セメタリー(1989)」 原題: Pet Semetary

メイン州の田舎町が舞台。

幼い娘と息子を連れた一家が引越した先は、ダンプカーの往来が激しい道に面していた。そして、家の隣には不気味な動物墓地が。

ある日、娘の愛する猫がダンプカーに
引かれて死んでしまう。隠そうと必死の父親は墓地を管理する隣人から、ある場所に埋めるよう言われる。
その通りにすると、なんと翌日その猫が生き返って表れた。しかし、猫は恐ろしく暴力的に変容していた。

ダンプカーの往来はやむ事がなく、ある日幼い息子の命も奪ってしまう。そこで、悲しみにくれた父親は、ある夜遺体を墓の下から例の場所に埋めてしまう。生まれ変わった息子に再開できた父親とその家族に待っていたのは。。。


墓地での葬儀のシーンで一瞬、スティーブン・キングが牧師として出演しています。


「ゴールデンボーイ(1998) 」 原題:Apt Pupil

高校で優等生のトッドは、歴史の授業からホロコーストに興味を持つようになる。

図書館で文献をあさると、近所の老人がユダヤ人のガス室大量殺害を行っていた元ナチス兵であったことを突き止める。

学校では詳しく教えられない、恐ろしい真実を本人の口から全て聞きだしたいと考えたトッド。「語らなければ元ナチス兵であることを周りに口外する」と脅し、その詳細を毎晩語らせた。

トッドは、この異常なほどのホローコーストへの固執がもとで事件への巻き込まれていく。


この中で、トッドが殺害してしまうこととなるホームレス男性は、なんとLaw and Order Special Victims Unit の英雄刑事エリオットだったからびっくり。


この4つの作品に共通していることは、いずれも主人公が子どもであって、アメリカの良くありそうな場所(メイン州の田舎町、コロラド州のホテル、郊外の高校)が舞台となっていること。

上記のOn Writingでは、スティーブン・キングが貧しい子ども時代を母・兄と過ごした時の、様々な出来事がかなり鮮明に書かれています。彼の考える「子どもの敏感さ」が、それぞれのホラー作品に表れている感じがします。

それから、彼は幼いころに友人が電車に挟まれて亡くなったのを目の前で目撃したそうです。
自身は覚えていないらしく、作品への影響も否定しているそうですが。

スティーブン・キングは、「モダンホラー」(怪奇小説でなく)の第一人者とされているとのこと。
普段あまりホラー映画を見るわけでなく、「モダンホラー」の定義も分かりませんが、
ゾンビが出てくる映画とか、日本の「らせん(1998)」、「呪怨(1998)」とかで、怖いお化けがでてくるのとは違って、ストーリーの展開自体が恐ろしい感じです。

スティーブン・キングが書いたホラー以外の作品も、有名どころの「ショーシャンクの空に」「グリーンマイル」など、もう一度見てみようかと思っています。

それから、スティーブンキング作品週間を終えたところで、夫がふと小さいころに氏を見かけたことを思い出しました。彼のいとこがメイン州でスティーブン・キングの娘と同じ大学に通っていて、
卒業式を見に行ったらキング氏も来ていたとか。誰かが騒ぎ出したので、途中で退室していった姿しか見ていないそうですが。

2009年4月14日火曜日

子宮の日

4月9日は、「子宮の日」ということを知りました。
この日に、子宮頸がんについての講演会が
東京ウィメンズプラザで行われたそうです
(主催:NPO法人子宮頸がんを考える市民の会)。

子宮頸がんは、子宮の入口付近(子宮頸部)に発生するもので、
性交渉によって感染したウィルスが、がんに進行します。
(子宮内部にできる子宮がんとは異なる。)

以前オーストラリア人の同僚が、
同国では、子宮頸がん検査(pap-smear test) を勧める手紙が
18歳になると送られてくると言っていました。
義務ではないけど、性交渉の経験がある女性は積極的に
2年に1度の検査を受けているそうです。

日本でこの検査を受ける人はまだまだ少ないし、
子宮頸がん、検査について知る機会も少ないような気がします。

しかし、20-30歳の女性にとっては、発症率が一番高いがんだそうで、
日本でも毎年約2500人の女性がこのがんにより命を落としているとのこと。

子宮頸がん、検診について詳しく載っているサイトを見つけました。
「子宮頸がんをなくそうオレンジクローバーキャンペーン」

2009年3月28日土曜日

ルーツ:木村 作治

家族から口伝えで聞いたことを書き留めておく
「ルーツ」の第2弾は祖父の木村作治
(2007年の1月に他界)。

今回は、若い20歳前後の作治が経験した
第2次世界大戦の記録です。
ラバウルで終戦をむかえた作治は
約1年ほど(?)を職業軍人として仕えました。
(以下、年月は不確実)。

*戦中の作治
1943年: 召集を受けなかったが、職業軍人に志願。

1944年:現パプアニューギニア領ニューブリテン島ラバウル
(*)へ出航。
1945年8月15日まで:ラバウルに配置された日本軍に仕える。  
 自活を強いられる日本軍
のため農業をしたり、
 高い木に登り、連合軍機の飛行状況を確認するなどしていたそう。

1946年初め:引揚げ船で帰還。栃木県足利市の家に戻る。  
 「突然家にひょっこりと戻ってきた」と祖母のハルノは語っていた。


*戦中のラバウル
第1次世界大戦後オーストラリア領であったラバウルは、
1942年に日本が占領。
ラバウルだけで陸軍合わせて9万余りが配置される。
能力の高い今村均陸軍大将の下、
東南方面への一大拠点としてラバウル航空隊の基地が築かれる。
航空機を地下に管理するほどの整備。
連合軍は
ラバウル要塞と呼び、厳しい抵抗が予想されるラバウルを
占領せず包囲するにとどめ、終戦時まで日本軍がラバウルを保持。

食糧は自活により豊富にあり、ラバウルで日本軍からの降参はでず。

*ニューギニアの戦い
ラバウルのあるニューブリテン島の西、ニューギニア東部で
激しい戦いでは、
日本軍から12万人の死亡がでる。
1942年7月より、連合軍の拠点があったニューギニアの東部ポートモレスビー
(現パプアニューギニア首都)に、約16万人の日本軍が上陸。
連合軍が優勢の中、制海権・制空権を失った日本軍への食糧補給は減り、
1945年3月に最後の補給が与えられて以来終戦まで
戦友の人肉を食べながら生き残るものもでる。
飢えやマラリアで死亡する者も多く、連合軍に降参する部隊もでる。

ここから帰還できたのは約2万人。


拡大して見るには、地図上をクリック)

私は祖父作治と、11歳まで栃木県足利市で一緒に住んでいました。
私がよく覚えているのは、トラックに小型プロペラ機(?)を
積んで出かけ行く祖父。
家の上を飛んでくる祖父の飛行機にと、
兄弟と一緒に兄弟と手を振っていました。
この趣味もラバウル航空隊から受けた影響だったのでしょう。

後に違法な場所を飛んでしまって、自慢の飛行機は
警察に没収されてしまいました。
早朝に警察が押しかけてきたときは、
警察を家に入れるまいと祖母ハルノが
体を張って下着姿で玄関に出て行ってとか。

海外旅行が好きだったおじいちゃんの
地球儀には、今でも中国、東南アジア、北米、南米と
色々多くの訪問地に印が残っています。





2009年3月20日金曜日

タイのレストラン

タイで訪れた場所で、もう一度戻りたいなと思っている
場所を書いておきます。
近々タイに遊びに行く友達からお薦めの場所を聞かれて、
詳しい記憶を辿っていることもあり。

いずれも訪れたのはバンコクに住んでいた
2005年11月-2007年4月の間。

まず第1弾はレストラン。

<レストラン>
●Som Tum Bangkok (バンコク市内・スカイトレインAri駅より徒歩3分、Soi Ari 3)
 イサン料理(東北タイ料理)がおいしい。
 1人600-700円くらいでビールも飲んでご飯を食べられる。
 ここでおいしいもの
 ・ガイ・ヤーン(タイ風チキン焼き鳥)
 ・ ソムタム(パパイヤサラダ)
 ・ラープムウ(豚挽肉のスパイシーサラダ)
 ・ゲーンキョウワン(グリーンカレー)
 ・チャーハン又はカオニアオ(もち米)




● 雲南飯店
 ビルマ・シャン料理/雲南料理のヒヨコ豆の豆腐スープヌードル。
  通称 シャン・ヌードル。
 (バンコク市内・スカイトレインのラチャテリー駅より徒歩10-15分、
 ペチャブリー通りから入った中国人街の細い路地の中)

 とても狭く汚い店で、熱いときは上半身裸の雲南省出身の店長と
 子供がテレビでパワーレンジャーを見ている。
 英語は全く通じない。
 
 1杯100円もしないこのシャンヌードルは忘れられない。



少し味は違うが、高田の馬場のシャンレストラン
ノンインレー」でも食べられる。

2009年3月7日土曜日

ルーツ:谷 駒太郎

備忘録というよりは、歴史の記録/貴重な家族の記録。
「ルーツ」というカテゴリーで先祖について
家族から口伝えで聞いたことを書き留めておくことにしました。

といってもひいおじいちゃん・おばあちゃんまでしか遡れないし、
断片的にしか知らないけど、戦前・戦後で日本の歴史に彼らが
果たしてきた役割を整理しておこうと思いました。

1弾目は、ひいおじいちゃんの「谷駒太郎」について。

1880年代、栃木県佐野市(当時の下野国)に生まれる。
82歳で生涯をとじるまで、明治・大正・昭和を通し同市で過ごす。

農家としてこの時代を佐野市で過ごした駒太郎は、
足尾銅山鉱毒事件(*)の農民反対運動に参加することとなる。

足尾銅山から流れ出た鉱毒で、駒太郎の農地へも被害がでる。
同じく佐野市出身の衆議院議員田中正造が率いる
鉱山反対運動に参加。
他の被害農民とともに、東京へ歩いて陳情に行く。

田中正造が1913年に支援者の家で倒れ、その1ヶ月後に
息を引き取るのを他の支援者とそばで見取る。


*足尾鉱山鉱毒事件
日本で初めて、農民による反対運動があり
企業からの補償金が支払われた公害事件。
足尾銅山は、明治維新後民営化され、
1877年に古河財閥の古河市兵衛が経営を始める。
その後古河鉱業の近代的鉱山技術の導入で、東アジア一の銅産出地になる。
しかし、排水に含まれる鉱毒などにより地域に大きな環境被害をもたらす。
日清・日露戦争中に銅の需要が上がり、政府は鉱山をすぐに閉鎖することはできず、
田中正造率いる被害農民の反対運動が活発に行われる。

<年表>
1885年:渡良瀬川で鮎が大量死し、鉱毒の被害が明らかになり始める。
 その後同川から取水する田の稲が枯れるなど被害が広がった。
1891年: 衆議院議員田中正造が国会で鉱毒について質問を始める。
1896年:古河鉱業は被害農民へ示談契約書を持ちかけ、
 示談金の代わりに鉱毒事件の請求権を放棄するよう農民に提示する。
 これを拒否した農民も多く、反対運動は終らず。
1896年:群馬県邑楽郡渡瀬村(現在の館林市下早川田町)の雲龍寺に
 栃木・群馬両県の鉱毒事務所が設立。被害農民の集結所となる。
1897年:被害地の農民が大挙し、東京に陳情。
 当時陳情は「押出し」と呼ばれる。

 政府は、足尾銅山鉱毒調査委員会を立ち上げる。
 大規模な明治期 の押出しは6回(1897年3月2日、1897年3月24日、
 1898年9月26日、1900年2月13日、1902年2月19日、1902年3月2 日)。
1900年:川俣事件。2月13日に押出しに出かける農民と警官が衝突。
 農民67名が逮捕され、うち51名が兇徒聚集罪などで起訴。
 1902年12月に、仙台控訴審で起訴無効という判決が下る。
 全員不起訴で決着。

1901年:衆議員田中正造が議員を辞職し、鉱毒事件に関して天皇に直訴。
1907年:政府は反対運動の拠点であった谷中村を廃村し、
 住民を強制的に移住させる。

1910-25年:渡良瀬川改修工事。流れの向きを変え、鉱毒の被害が減少。
 谷中村を遊水地に。

1913年:田中正造他界。反対運動もほぼ終焉。
1960年:足尾ダム建設(足尾町に銅山からの土砂流出を防ぐため)。
1973年:銅は掘り尽くされ閉山。
1980年代:精錬所は続けて操業。鉱毒はその後も流される。

(ちなみに1979-1990年の間、私は子供時代を足利市の渡良瀬川流域で過ごしました!)

駒太郎の農民反対運動への参加について
詳しいことが分かったら追記します。

駒太郎が亡くなった後、家の書庫に積んであった文献を
当時小学生であった孫の郁子(私の母)は
誤って大量にごみに出してしまいました。
わら半紙に書かれている古めかしい文書はよく分からないが、
学校の勉強にも使えなそうだし、ただ汚らしいと思ったとか。

後に、田中正造に関する文献が残っていないか
尋ねる者もあったらしいが、悔やんでも後の祭り。

田中正造没後100年目に当たる2013年は、
佐野市で関連イベントが色々企画される予定らしい。

2009年2月15日日曜日

Death Cab for Cutie


2月に来日公演をしたデスキャブ。
デスキャブは1997年に結成されたシアトルのインディーロックバンド。
ほとんどの曲が、失恋などうまくいかない関係を歌った切ない感じのもの。

バレンタインの日のコンサート@新木場Studio Coastは満員でした。
日本のファンもいっぱいいるんですね。
30代前後のファンが多かったよう。
一人で来ている人もちらほら。
米軍基地から来ているアメリカ人も結構いました。

生で聴くとさらにデスキャブの旋律が
心に響きますが、 "I Will Follow You Into the Dark"
(ヴォーカルのベンの弾き語り)が一番ぞくぞくしました。

歌詞を日本語にも訳してみます。


Love of mine some day you will die
But I'll be close behind
I'll follow you into the dark
愛する君もいつか死ぬだろう。
でも、僕は後について一緒に闇の中についていくよ。

No blinding light or tunnels to gates of white
Just our hands clasped so tight

Waiting for the hint of a spark

If Heaven and Hell decide
That they both are satisfied

Illuminate the NOs on their vacancy signs
射し込んでくる光もなければ、白い門もない。
ただ僕たちの手は強く握りしめあっていて
光の気配を待っている。
天国と地獄両方が満足しているならば
「満室」というサインを出すだろう。

If there's no one beside you
When your soul embarks
Then I'll follow you into the dark
君の魂が飛び立つ時に、もしそばに誰もいなければ
僕が一緒に闇の中についていくよ。


In Catholic school as vicious as Roman rule
I got my knuckles bruised by a lady in black

And I held my tongue as she told me

"Son fear is the heart of love"

So I never went back
ローマ帝国のように残虐なカトリックの学校では、
黒服の女性にこぶしにあざをつけられた。
彼女に「愛する心こそが恐怖である」と言われたので
僕は口をつぐんでしまった。
それから二度と学校に戻らなかった。

If Heaven and Hell decide

That they both are satisfied

Illuminate the NOs on their vacancy signs
天国と地獄両方が満足しているならば
「満室」というサインを出すだろう。


If there's no one beside you
When your soul embarks

Then I'll follow you into the dark
君の魂が飛び立つ時に、もしそばに誰もいなければ
僕が一緒に闇の中についていくよ。

You and me have seen everything to see
From Bangkok to Calgary

And the soles of your shoes are all worn down

The time for sleep is now

It's nothing to cry about
'cause we'll hold each other soon
In the blackest of rooms
君と僕はバンコクからカルガリーまですべてを見てきて、
君の靴のそこは磨り減ってしまっている。
眠りにつく時間は今、泣くようなものではないよ。
真っ暗な部屋ですぐに抱き合うことができるから。

If Heaven and Hell decide

That they both are satisfied

Illuminate the No's on their vacancy signs

天国と地獄両方が満足しているならば
「満室」というサインを出すだろう。


If there's no one beside you
When your soul embarks

Then I'll follow you into the dark

Then I'll follow you into the dark
君の魂が飛び立つ時に、もしそばに誰もいなければ
僕が一緒に闇の中についていくよ。
僕が一緒に闇の中についていくよ。

ちなみにこの曲、2006年にグラミー賞最優秀
ポップスグループパフォーマンスにノミネートされてますが、
Black Eyed Peasの "My Humps"に賞はとられてしまっています。
"My Humps"はそこら中で流れていたので
誰の耳にも残っているけど、「私のお尻」なんていう曲と、
デスキャブのこの曲を並べられてもちょっと困りますね。


音楽: M.I.A.

前回の備忘録に載せた映画 Slumdog Millionaire の、
サウンド・トラックPaper Planesは2月8日のグラミー賞で
レコード・オヴ・ザ・イヤーにノミネートされました。

この曲を歌うM.I.A. (本名Maya Arulpragasam)は、
当日が出産予定日にも関わらず授賞式でステージに上りました!







グラミーから戻った夜に陣痛が来て、次の日に出産したそう。
この恐れをしらない姿の裏にある、彼女の今までの人生を簡単に振り返ってみます。

スリランカのタミル民族の両親のもとに、1977年にロンドンで生まれる。
しかし、父親がタミル民族の分離独立運動(*)に参加するため、
家族は彼女が6ヶ月の時にスリランカに移る。
紛争下のスリランカから、やむを得ずイギリスの難民用住宅に
移り住むまでの約10年間、毎日が危険と向かい合わせだった。
父親は国軍から身を隠すため、なかなか家に帰っては来られず、
彼女が行き始めた学校は、政府により破壊されてしまう。
危険から逃げるために家族は引越しを続け、インドの路上生活者が集まる
地域に身を寄せたこともあった。

(*)タミル民族の分離独立運動は現在も続いており、国軍からの攻撃の
激しさも増して悪化の一途をたどっています。
2008年だけで、日本でも90人のスリランカ人(ほぼタミル人のはず)が
難民申請をし、ミャンマー人979人、トルコ人156人に続いて第3位の人数でした。

こんな背景を持つM.I.A.だからこそ、
Slumdog Millionaireにぴったりのサウンド・トラックを作れたのでしょう。

ちなみに、映画用にre-mixされたPaper Planes
映画の予告編とともに視聴できます。


映画: スラムドッグ$ミリオネア (2008)



スラムドッグ$ミリオネア (2008)
原題:Slumdog Millionaire

2009年4月から日本でも公開。
ゴールデン・グローブ賞 - 最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀作品賞受賞
アカデミー賞 - 9部門ノミネート
「トレインスポッティング」のダニー・ボイル監督、製作国イギリス

と前評判抜群だったので、一足先に見てみると、
うーん、よかった。

この備忘録ブログを始めるきっかけとなった作品!

内容はこんな感じでした。

主人公ジャマールを演じるのはインド系イギリス人俳優。
家族を失いスラムで生活していたジャマールは、
誘拐され、物乞いとして働かされることとなる。 同情をかって高いお金を稼ぐためにと、危うく盲目にさせられるところを 間一髪逃亡する。

逃亡時に、恐ろしい物乞い宿に残してきてしまった ラティーカのことがずっと忘れられず、しかしボンベイに戻れば殺されるという想いで、 遠く離れた土地で必死に食いつないでいく。 長距離電車での物売り、タージマハルでの観光ガイド、盗人、食堂の手伝い・・・

ジャマールの生活は、一見インドの最下層を映し出す(インドのそこら中で目にする)
何の変哲もないもの。 しかし、急成長を遂げるインドの大都市で、子どものころから生きる手段を見つけてきた ジャマールが得た知識は少なくなかった。

好機が訪れたのは、コールセンターでお茶くみの仕事をしていたときに、
誤ってクイズ・ミリオネアの番組からの電話をとってしまったこと。 これがきっかけでクイズに出ることになったジャマールは 今までの経験を生かしてクイズに次々と正解し、大金を手にする。

映画は、インドらしく、ジャマールがクイズでいんちきをしたのではないかと
警察に捕まり拷問を受けるところから始まる。ジャマールが一問一問なぜ正解できたのか、 どこでどう学んだ情報かを警察に説明することで、ジャマールの人生をさかのぼる形で映画が進む。 テレビを通してジャマールの居場所を確認したラティーカと 感動の再開をして映画は終る。


そういえば、ラストシーンでジャマールとラティーカが感動的に結ばれた
ボンベイ駅構内は、インドで忘れられない思い出の場所でした。

それは、大学3年生の春休み、インドに親戚をもつA.T.さんと
1ヶ月ほどインドを旅していた時のこと。あちこちの彼女の親戚の家で
カレーを食べさせてもらえたのは幸せでした。

ボンベイ駅での出来事は、今でも鮮明に覚えています。
ごったがえしていた駅構内で、私はA.T.さんと離れ離れにならないように
必死になりながら、ニューデリー行き電車を探していました。
もちろん、携帯電話も持っていなかったので見失ったらおしまいと思いながら。
でもそういう時に限って、一瞬のすきに彼女を見失いました。
そしたら、なんと彼女が間違えた電車に乗り込んでいる・・・・
「違う電車だよ。早く降りて!」
という私の声に気づいた時には、電車は既に動きだしてしまっていて・・
私の声に気づいて飛び降りるべきか躊躇している間に、電車は既にスピードを上げ始め・・・
結局彼女は勇気を出してプラットホームに飛び降り、幸運にも擦り傷と
着ていたサリーと体中が泥だらけになっただけですみました。

しかし、あの間10秒足らずの緊張の一瞬は今も忘れません。
何か悪いことが起こるシーンは、映画でよくスローモーションで
流れるけど、2-30秒くらいの出来事だったような感じがします。